ritsu-kokoro’s blog

日々の思いを綴ります。

サネカズラの種を植えてみた。

11月の末、大津市の仰木の里山ウォーキングに参加した時に、途中、フユイチゴや美男葛の赤い実があったりして坂道はキツかったけれど、楽しかった。ビュースポットでは後半遅れがちになっていた私を今森さんやスタッフが待っていてくれたりして。
百人一首ででも歌われたサネカズラ(美男葛)の実が可愛いなあと思って見ていたら、今森さんの奥さんが手折って私に下さった♡

ずっと部屋に飾っていたけれど、さっきプランターに植えました。

芽生えてくれるかなあ。
楽しみです。f:id:ritsu-kokoro:20201214140900j:plain


#名にし負わば逢坂山のさねかずら ひとにしられでくるよしもがな
#三条右大臣
#後撰集
#恋・701
#百人一首
#今森光彦さん
#里山
#仰木の里

京散歩

先月今月と京都によく来ていて、散歩もよくしている。秋という季節の良さや好天も手伝っていると思う。 京都は18才19才の短大生時代を過した場所なので、当時いつも歩いた道、よくお参りに行った神社や、ふらりと入ってコーヒーを飲んでは何か考えていた喫茶店があったけれど、そこが時を経ても変わらず同じ様にそこにあるのが嬉しい。とても落ち着く。道も神社もお店も建物も。あの頃の私と、今の私。年は重ねたけれど、心の中は何一つ変わっていない私もそこにいる。そして、そういう事を気付かせてくれるのが京都という場所なのである。これはリフレッシュなんだろうか。リボーンという程でも無いしなあ。

f:id:ritsu-kokoro:20201106045553j:plain 初めて見たものもある。 鴨川を泳ぐ鯉さんだ。この日は水も澄んでいて、大きな鯉がよく見えた。鯉も住んでいるとは知らなかった。

変わりゆくものとかわらないもの。時代に対応、変化に対応というけれど、変わらない良さと落ち着きがベースにあってこそ、日常の刻々とした変化をゆるぎなく受け止められるんだなあと確信に似た気持ちになる。京都の街と川と空、今の季節に感謝の思いがする。 自分の中でも四季が巡っているなあとも感じた。 よき時間をありがとう。

あおむし観察再び

あおむしくん達の食草、無農薬山椒を準備して、 今、新しい飼育ケースも買って、秋空の元、2匹は成長中です。f:id:ritsu-kokoro:20201005195318j:plain f:id:ritsu-kokoro:20201005195321j:plain

少し蓋を空けたら怒ったりして、元気です。 f:id:ritsu-kokoro:20201005195417j:plain f:id:ritsu-kokoro:20201005195414j:plain

今日は午後から日差しがあり、温かかったせいか、山椒の葉っぱを食べている姿が観察出来ました。 f:id:ritsu-kokoro:20201005195559j:plain f:id:ritsu-kokoro:20201005195602j:plain

大きくなーれ❣️

ナミアゲハの幼虫

あおむし

ナミアゲハの幼虫がいました。

うちのベランダには、レモン、柚子、デコポン、グレープフルーツ、スダチ等の小さな芽がいくつかあります。 実を食べたり、果汁を使ったあと、種をプランターに植えたものです。

前のマンションでは何度かナミアゲハを育てた事がありました。デコポンの10cmほどに育った苗に、揚羽蝶が気がついて、卵を生み、それが孵って青虫になり、羽化したのが始まりでした。

去年引越しの時に、ベランダのプランターもかなり処分したので、今芽を出しているのは去年植えた種から芽吹いたものばかりでほんの小さなものです。

時間の問題で食草が足りなくなるので、メルカリで調達しました。

今の時期だと、ギリギリ羽化するかまたは蛹で越冬になるかも知れません。

揚羽蝶

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ジュズダマ日記

今日、ジュズダマの苗が届いた。

レモングラスと共に届いて、この2つの苗、よく似ていて、同じイネ科。名前の表示が無いので、 どっちがジュズダマ???と思ったけれど、それぞれ葉を少しちぎって匂いを確かめたら、即判明!

私の予想と逆で、黄緑色の葉の方がジュズダマだった。

実が出来る日が楽しみである。

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ジュズダマ↑

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レモングラス↑

花と記憶

今日は、夫の耳鼻科診察に付き添って行った。

病院の駐車場への道の途中、海棠桜が咲いているのを見た。 風が強かったので、少し立ち止まっただけで、写真は、撮らなかったが。

海棠桜は、昔 、実家の庭にあり、祖父が丹精に慈しみ、大きく丸く形造っていた。大人の背より少し高いくらい。 花の頃には、祖父が作ったぼんぼりをその大きな海棠桜の花籠の中につるしていた。ぼんぼりの和紙は、上が青く下が薄桃色に 毎年祖父が染めていた。

子供の頃、その下に茣蓙を敷いてお花見していた。

祖父亡き後、祖父の愛したその海棠桜も命を終えた。

今日は海棠桜に会えてよかった。